被爆地を訪ねて…

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DSC_02388月…。さきの大戦の記憶から、一年のなかでも大きく平和について考える機会が多いように感じます。

今から19年ほど前、大の親友と旅に出ました!目的地は「長崎」。私の旅の大きな目的は、あるテレビ番組で知った一人の医師を訪ねることでした。

長崎医科大で内科医を目指されていましたが、風邪をこじらせて中耳炎にかかり聴力に障害を負い、放射線医学の研究に転向。卒業後、大学で仕事中に原爆に被爆…。奥様を亡くされ、二人のお子さんを義理のお母様に預けて自らも白血病という大きな病と原爆で負った大ケガを抱えながら、ケガ人の治療に専念され、また、敬虔なキリスト教信徒でもあった医学博士『永井隆』先生の、足跡を辿ることでした。

長崎駅前から路面電車に乗り、浦上駅前にて下車。その後は、浦上の街の空気を肌で感じながら歩いてまわりました。

永井先生が奥様と眠る坂本国際墓地にて墓前に花を手向け、小学生の頃に社会科の先生に教わった「片足鳥居」(山王神社の大きな鳥居のひとつ。原爆で片方しかなく、もう片方は爆風に遭い、あとかたもない)を見学。そして原爆資料館~平和公園をめぐり、どれだけ原爆の威力が恐ろしいかを知らされました。

原子野と化した浦上の復興のよりどころとなった浦上天主堂、さらには永井先生が病に倒れてから、こどもたちと過ごしたり、執筆活動をされるために自宅に畳二畳分のちいさな建物をつくられ、そこで過ごされた「如己堂」を見学。永井先生が生きて命あるかぎり、世界の平和を願い、行動された息づかいを感じた貴重な体験となりました。

写真は、その頃読んだ本「この子を残して」(永井隆著)を旅先に携え、スタンプを如己堂で押したものと、今年読んだ原爆投下直後の様子を克明に記された「長崎の鐘」です。

浦上天主堂のアンゼラスの鐘は、被爆後、奇跡的に土の中から鳴らせる状態で発見され、以来、復興と平和の象徴として長崎の人々から愛され続けています。

長崎を訪れてから18年後…、2017年のノーベル平和賞は、スイス、ジュネーブに本部を置くNGO(非政府組織)核兵器廃絶国際キャンペーン『ICAN』でした。核兵器が、非人道的な兵器であるという認識を国際社会に広め、核兵器禁止条約の採択に力を尽くしたことが、評価された理由だそうです。

事務局長「ベアトリス・フィン」氏は、なんと30代半ばの二児の母です。

受賞式のスピーチの言葉です。

「核兵器の終わりか、人類の終わりか、どちらかを選ばなければならない。」

ICANのノーベル平和賞受賞を機に、原爆資料館で買った「永井隆の生涯」(片岡弥吉著:著者は永井先生と親交があった)を再読しました。旅から約20年を経て思うことは…、母となって強く願うこと…は、やはり安全で平和な世界…。

「長崎を最後の被爆地に…」という永井先生はじめ長崎の人々の願いが届いているか…、願わくば、心も体も元気なうちにもう一度、同行してくれた親友とともに再訪したいものです!

長々と失礼しました…。